教育起業家ウェンディ・コップとの対話(1):ひとりでもYESと言ってくれる人がいればいい

「大事なのは、1年目に到達した実績ではなく、5年後、10年後にたどり着きたいと思っていた場所にたどり着けているかどうか」ー HatchEduでは、2020年7月、Teach For America(ティーチ・フォー・アメリカ)とTeach For All(ティーチ・フォー・オール)の創設者であるウェンディ・コップをゲストスピーカーとして迎え、オンラインセミナーを開催しました。モデレーターはUWC ISAKジャパンの代表理事である小林りんが務めました。
ウェンディがプリンストン大学での卒業論文で構想したところからスタートしたTeach For America。その理想とモデルを引き継ぎ、世界的なネットワークで展開するTeach For Allは、現在、1.5万人以上が2年間のプログラムに参加し、8万人以上のプログラム卒業生が世界中で活躍するというスケールの大きな事業として成長しました。今回の記事シリーズでは、ウェンディの教育起業家としての30年間の経験が惜しみなく共有されたこのセミナーの内容をまるごと3部にわたってお届けいたします。

はじめの一歩
〜「うまくいくわけがない」と言われても

小林: ウェンディが最初にTeach For Americaのアイデアについて話したとき、多くの人が 「素晴らしいアイデアだけれど、絶対にうまくいかないだろう」と言ったと何かで読みました。多くの起業家が同じような困難に直面すると思いますが そもそも何がその困難を乗り越えさせたのでしょう?どこでレジリエンス(しなやかな回復力)を身につけたのでしょうか?

ウェンディ: たしかに「トップスクールに在籍する大学生が、低所得地域で教えたいとは思うわけがない。アイデアは素晴らしいけれど、うまくいかないだろう」と言われました。私は当時、大学4年生になったばかりでしたから、余計にそう思われたのかもしれません。でも私は、「本当の意味での変化をもたらし、本当の責任を負い、この国の不平等を変えることができるなら、非常に多くの若者がその機会にとびつくだろう」と信じていました。確信があったから、その時点で諦めずに粘ることができたのかもしれません。

また、起業家として生きてきたこの30年間、多くの経験から「続けていきさえすれば最後にはうまくいく」ということを学びました。起業家の皆さんは、本当に成功できるのかと疑問に思う瞬間がたくさんあると思いますが、一歩踏み出して味方を探したことで、多くのことがうまくいった例も見てきました。最初の頃は100人がNOと言っても、1人でもYESと言ってくれる人がいれば、全ての「NO」をかいくぐって、「YES」にたどり着く道が見つかるはずです。

小林:  ウェンディの粘り強さだけでなく、規模の拡大へのコミットメントも素晴らしかったと思います。最初の年だけでも、約500人の教師を大学から地域コミュニティに送り込んだということですが、それについても多くの人が「小さく始めるべきだ」と説得したそうですね。なぜ最初から大きく始めようと思ったのですか?

ウェンディ: 大きく始めることが常に正しい選択だとは思っていませんが、Teach For Americaに関しては「500人から始めなければならない」と思ったのです。スタートにあたって研究したのがピースコープ(Peace Corps/米国連邦政府による発展途上国にボランティアを派遣する事業)です。1960年代にケネディ大統領がシュライバー軍曹にピースコープの創設計画をつくるよう依頼したのですが、そのレポートに「500人規模から始めなければならない。それより小さい規模になると、大学を出たばかりの最も優秀な若者たちに国家的に重要なプロジェクトであると見なしてもらえないし、彼らが『参画したい』と思うようなインスピレーションを与えることもできない」と書いてあるのを見つけたのです。

だから規模をそれ以上小さくすることは考えられませんでした。同時に、それ以上大きくてもマネージできるとは思えなかったので、500人と決めました。当時、教師のイメージは決して良いものではありませんでした。なので、もし私達が「教育を変えることは国家的に重要で、かつ緊急性が高い課題なのだ」という重要性・切迫感を伝えなければ、キャリアの選択肢もたくさんある優秀な学生を惹きつけることはできなかったと思います。そして、この規模でスタートできたからこそ、Teach For Americaは一定の存在感を得ることができ、それが最初の10年間の成功につながりました。

でも、Teach For Allのパートナー組織の多くはもっと小さな規模からスタートしています。大事なのは1年目に到達した規模ではなく、5年後、10年後にたどり着きたいと思っていた場所にたどり着けているかどうかだと心から信じています。これまで、ひとつの目標に到達するにも様々なルートがあるのを見てきましたし、状況が異なればそれに応じた意思決定が必要になると思っています。

1990年 Teach For Americaがスタート。
489人のメンバーが教員として低所得地域の学校に派遣された

「自分がやるしかない」という覚悟 

参加者からの質問: あなたが最初にチームに採用した人は誰ですか、そしてなぜその人を選んだのですか?

ウェンディ: 私がTeach For Americaの創設を大学の卒業論文で提案したのは21歳の時でした。組織運営のために何をしたらよいのか、採用面接の方法も全く分からなかったんです。その頃、プリンストン大学の卒業生が私たちの活動を知り、助けになれないかな?と申し出てくれました。「もちろん!」と答えて採用が決定。ダニエル・オスカー、長年にわたり働いてくれ、今でも親友の一人です。

彼が初めて採用したスタッフで、でも最初の年は正直なところ、みんなそんな感じで採用しました。大学を卒業したてのメンバーばかりで面接を始めました。多くのミスを犯しましたし、多くの素晴らしい失敗もしましたが、そうやって集まった創設時のメンバーは、素晴らしいことを成し遂げました。多様性に富む、強いグループによって事業をテイクオフさせることができました。

小林: 当時は学部生で21歳だったんですね。ビジネスの経歴もなく、人を雇ったこともなく、会社を設立したことも何もなかった。今日のセミナー参加者の中にも同じような状況にある方々がいます。非常に若いか、教師をやったことがないか、ビジネス経験がないか。巨大な組織を運営していくことに抵抗はなかったのでしょうか?どうやって組織運営スキルを身につけたのですか?

ウェンディ: 急勾配の学習曲線を経て身に付けましたが、数年かかりました。最初の2~3年は勢いがありましたが、その後壁にぶつかり、自分の手には負えないことに気づきました。大勢の人に「ウェンディ、誰か経営者を探せ」と言われました。ハーバードでMBAを取得した人や、ビジネススクールの出身者を紹介されました。時間を費やして問題を解決してくれる人を探し、組織を前進させようとしましたが、うまくいきませんでした。できる人を見つけられなかったんです。

そして「自分で解決しなければならない」「やり方を学ばなければならない」と気付きました。多くの人から学んだし、多くの失敗も経験し、最終的には、MBAはそれほど重要なことではないことに気がつきました。それよりも、私自身がオープンな姿勢で学ぶことの方が重要でした。学ぶ過程で仲間を見つけたり、様々な場所で助けてくれる人をたくさん見つけることもできました。

小林: ビジネスパーソンのようなメンターはいましたか?

ウェンディ: はい、非営利団体を設立するためにお金を調達しなければならないので、経験豊富なビジネス界、慈善家の方々に会っていました。そのうち何人かは私たちの理事会にも参加してくれ、彼らから受けたアドバイスは、確かに大きな変化をもたらしてくれました。私たちのチームは、最初の頃はほとんどが若い人たちでしたが、本当に能力の高い人たちで構成されていて、一緒に学び、支え合い、挑戦してきました。

経験豊富な人たちを採用するようになってから、元マッキンゼーのコンサルタントなどを採用しました。彼らは非常に多くのことをもたらしてくれましたが、同時に、経営と熱意・信念とのバランスが必要ということも、時間をかけて学びました。私達の事業について深く共感していることが本当に大事だと思っています。私達の組織で最も重要な役割を果たしている人たちの多くは、自分自身で学び続けることができ、私たちのミッションと仕事に深い信念を抱いている人たちで、そういう人たちと今日ここにある組織を築き上げてきました。

小林: 非常に経験豊富な人たちと、心からウェンディの使命を信じて生きてきた心ある人たちのバランスがよかったのですね。私にも、同じようなことがありました。学校の創設にあたり何千人ものビジネスパーソンと出会いました。理事会は私にとって非常に力強い存在でした。私たちは同じような状況で、自分自身を成長させることができたのですね。

本当の変化を生むまでの道のりは「長い、長い試合」

参加者からの質問: あきらめようと思った瞬間はありましたか?

ウェンディ: 特に初期の頃は、本当に前に進むことができるかどうか疑問に思う瞬間がありました。周りにいた人たちと自分自身に対する責任感があったので、進み続けることができました。正直、最初の10年くらいはどうやったら困難から抜け出せるのかわかりませんでした。
教師やスタッフ、寄附者みんなを失望させたくありませんでした。トップを引き継いでくれる人を探したけれど見つからず、課題が山積みで。でもだからこそ続けられたのだと思います。私達が取り組んでいるのは、大きく複雑な問題です。人生の早い時期に、大きな変革をもたらしうるものに出会い、そこに道を見出せたことは非常に幸運でした。

時間はかかります。ですが、時間をかけることで、本当の変化を生み出すことができます。私たちが取り組む教育格差の解消は10年程度の時間でできるようなことではなく、長い、長い試合だと思っています。

小林: 当時、誰かに引き継いでもらいたいと思ったのはなぜですか?自尊心からか、疲れてしまったのか、それともプレッシャーが強すぎたのか…

ウェンディ: 困難からどのように抜け出せばよいか、先行きが見えなかったからです。特に最初の10年間は、お金の問題が大きく、今にもつぶれてしまいそうで…その問題が解決したら今度は人員の問題など、常に問題が山積みで、どうやったら強い組織にしていけるのか、まったく分かりませんでした。プログラム上の大きな課題も抱えていました。単に教室でサバイブして良い授業ができるというだけでなく、子どもたちと一緒に成長し、ポジティブな影響を与えることができ、さらに真のリーダーとなって変革のために立ち上がれる人を採用し、トレーニングを施し、彼らのさらなる成長を支援するのは、ものすごく大変な仕事でした。

そしてまた、多くの政治的な課題に直面しました。私自身がこの状況を乗り切って、成功させることができるかどうか、自信がありませんでした。だから、引き継いでくれる人を見つけたいと思いましたよ。そんな人がもしかしたらいたかもしれませんが、とにかく課題が山積みで、誰かに押し付けるのも申し訳ないほどだったんです。最終的に覚悟したのは、仲間を募って飛び込んで、一歩前に踏み出し、もう一歩前に、とひとつずつ片付けていくしかないということでした。

小林: 私たちの活動ははるかに小さい規模ですが、気持ちはよくわかります。たくさんの人が信頼を寄せる中で、諦めるわけにはいかないんですよね。特に初期は、歯をくいしばってやるしかない、そして気がついたらめざすところにたどり着いている…そう信じたいですね。セミナーに参加する視聴者の皆さんが、このお話から何かを得てくださればと思います。

構成:江森 真矢子
編集、監訳:臼井 芽衣

第2部に続く。

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ウェンディ・コップ プロフィール

ウェンディ・コップ Wendy Kopp
Teach For All CEO, Teach For America創設者

プリンストン大学卒業後、アメリカ国内の一流大学の卒業生を2年間、教育困難地域にある学校に赴任させるプログラムを立ち上げ、1990年から実施。Teach For Americaの取り組みは世界各国にて取り入れられ、2007年にはグローバル組織Teach For Allを設立。クリントン・センター・アワード、ジョン・F・ケネディ・ニューフロンティア・アワードを始め、多数の賞を受賞したほか、2008年『タイム』誌の選ぶ世界の重要人物100(「TIME 100」)、FastCompany.com による「45の社会的起業家たち」に複数回選出される。

著書
『いつか、すべての子どもたちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと』(英治出版)
『世界を変える教室――ティーチ・フォー・アメリカの革命』(英治出版)